何故B−Pか?
2002/06/23 作成
B−P。 BSの指導者でもこの意味を知らない人がいる。知っていれば いいというものではもちろんないが、知らないのはやはり相当に恥ずかし い。これが Baden-Powell というのはいい。それは誰でも知っている。 問題はその意味だ。 ベーデン−パウエル卿は 1857年 2月22日イギリスはロンドンで生まれ た。生まれたときの名前は、ロバート=スティブンスン=スミス=パウエル。 パウエルというのは父親の姓、スミスは母親の姓だ。このロバートが3歳 の時、父親が死亡。母親は7人もの子供を抱え、大層苦労したようだ、と B−Pは書いている。この偉大な母親がその夫の栄光を記念して、姓をパ ウエルからベーデン−パウエルに変えるよう申請し、それが認められた。 このときからB−Pはロバート=スティブンスン=スミス=ベーデン−パウエル となる。したがって、この”−”(ハイフン)が極めて重要なのだ。人によって はBPとか、B.P.とか書くようだが、とんでもないことで、「B−P」と書か なければならないわけがここにある。つまり、ベーデン−パウエルは「姓」 であって、「名と姓」ではないのだ!
以下、このことを記した書物からの引用 ベーデン・パウエルの・・・・、スティーブは「ベーデン・パウエル」ではなく、 ただ「パウエル」であった。末っ子のベーデンを除いて他の子供達も皆「パ ウエル」であった。 パウエル夫人(ヘンリエッタ・グレイス、括弧内は筆者註、以下同様)は子 供達を熱愛した父でありかつ自分の夫(であるベーデン・パウエル教授。そ して彼の父親もまたベーデン・パウエルであった)をたたえ、その名を不滅 のものにするため、姓を「ベーデン・パウエル」に変えようと決意した。パウ エル家の顧問弁護士、アーノルド氏はこのダブルネームが法的に認められ るだろうと保証した。 1869年 9月21日、パウエル家全員がベーデン・パウ エルの姓になることが「公に認知」された。 この新しい姓は、末息子を除いて心地よい響きであった。末息子のベー デン・ベーデン・パウエルは、ただその名前に我慢しなければならなかった。 その後間もなくベーデンとパウエルの間にハイフンがつけられ、事態はい く分改善された。今やファッショナブルなダブルネーム、ベーデン−パウエル のついた一家は、住所氏名欄のPの項に二度と載ることはなかった。ベーデ ン−パウエル夫人が、友人や親類縁者達にこのダブルネーム使って名を呼 んでもらうのに時間がかかったが、最終的には彼女のこの申し出に従うこと になった。このことに関して彼女が非常に頑固だったので、一家の者たちは ひやかし半分に彼女を「二つ苗字のおばあさん」と呼んだ。 そんなわけで、スティーブはロバート・スティブンソン・スミス・ベーデン−パ ウエルとなり、まもなく級友達から、そしてついには世界中の人々からB−P と略されて呼ばれることになったのである。 ウィリアム・ヒルコート著(1964) 安齋忠恭監訳(1992) 「ベーデン−パウエル --- 英雄の2つの生涯」、産調出版、554pp (表記は原文のまま)
つくば第1団BS隊ニュース 1997-2号 掲載 |